風と香りの中で 65

「弥生ー!」どこからともなく女性の声が、
小さな明かりと共に近付いてきていた。
「母だわ!」弥生が呟くと、坊主頭の男はその明かりの方を見ながら
舌打ちしたのは弥生に聞こえなかったが、
「じゃあ、今度来たときに返事くれよな」
男が去って行くと、立ち尽くした弥生にその明かりが届いた。

店のママさんから家に、弥生ちゃんが帰ったから迎えに来るように電話していたのだ、
車の通りはあるものの歩道には、所々しかない街路灯は薄暗く、
母親は懐中電灯を持って迎えに来たのだった。

「どうしたの、今、誰かと一緒だった!、
だから、1人の時は店に行かないように言ってるでしょ 
まさかバイトに言ってるなんて私は、聞いていないわよ!」
と元気のない弥生を見て、
何かあったんじゃないかと心配して言った。

「何でもないから」弥生は、ほっとした気持ちを押さえながら歩き始めた。
言葉とは、不思議なもので心裏腹に飛び交い人の心をも迷わす。
時には乾いた心の特効薬にもなるが、
人の純粋な心をもてあますかのように人生を変えてしまい、
死にいたるところまで追い込む凶器にもなる。

その真実を見つけるのは自分しかいない、
私利私欲の為にもっともらしい事を伝えるのにはとても便利なもので、
どれだけの人が悲しみに落ちたのだろう、
偽りに気づいた人たちの心をあざ笑うもっともらしい言葉は、
見上げた夜空の無数の星の数ほど多いのかもしれない、
どっちにしろ人とは切ないもので・・・。

弥生は、寒い夜の薄暗い街頭の下で、無理やりにでも抱きしめられて、
愛してると言われて居たのなら、
その言葉だけが心を迷わしその女性の母性がどうしていいか判らない状態から、
求愛されたら、返事はいいわよ!って囁いてたのだろうか。

そして、坊主頭の男は最初で最後のチャンスを
失くしてしまったのかも知れない。
そのころ店では、狐目の男が、誰に言うともなく
あんな可愛い彼女が出来たなんて、
いいよな!なんて、作り話を呟いた。

当然、弥生との付き合いを望んでいたものは、
信じてしまえばここで終わりなのだろうが、
信じない者は、きっとぼやぼやしてられないと
告白の時期を早めるだろう。

やがて来る春を見つめながら、
冷たい風は今日もどこ行くとも知れず人々の心を吹き抜けていく

風と香りの中で 64

久しぶりに、喫茶ナイトには弥生があくせくと働いていた。

別にお金に困ってる訳でもなく母親の知り合いであるママさんに頼まれて、
2人で来るようになって2年近く、時間の許される時にだけ来てた。

続けてくることもあったが、どちらか1人で来るとかは殆どなかったが、
この日は妹のかすみがテストの為に、弥生はある期待をして1人で来ていた。

思った通り遅い時間になると客足も増えて顔なじみの客は、
それぞれに「久しぶりだねー!」と注文を取りに行く度に声を掛けられていた。
中には「デートで忙しいよな!」と、弥生に彼氏が居るかなどと、はっきりと聞けない男は、
そー言って弥生のどちらかの答えを聞きだそうとしていたのだ。

「やよいちゃん疲れただろう、少し休むといい何か飲むか!」とマスターが奥さんに、
店の方を見てよと手振りで指示していた。
「あいよ!」と、今来た客に注文を取りに行き、
弥生は奥の座敷部屋に入るとテレビを点け、作って貰ったミルクティーを飲みながら寛いだ。

今日は1人だからあと少ししたら帰ろうと思い、
それをそのままマスターに伝え暫く点けたテレビを見るともなくぼんやりしてた。
その後、来る客も少なくなるのを確認すると、弥生は帰り支度を始めた。

カラン・カラン21時過ぎ入ってきた2人組みの男は、
坊主頭で顎髭の男といつもの狐目の男だった。
弥生は、一瞬何かに期待したが、2人組みの男を見て小さくため息を付いた。

あーあ!来ちゃった、少し遅かったなと残念がったが、
既に帰る準備は出来てたので注文も取らずに、
店の真ん中を通り出て行く途中に、当然、坊主頭の男は
「久しぶりだな、こないだはどうも、楽しかったよ!」と、
周りに居る男たちに聞こえるように、馴れ馴れしく声を掛けると、
もちろん男たちの中には何だ!えっ!まさかな!と驚いていた者も居た。

それが狙いで声を掛けたのは坊主頭の男にとっていいタイミングになってしまった。
「今度、いつ行こう!」続けていった言葉に弥生は、返す言葉が見つからなかった。

何よ、もー!「はっきり言った方がいいよ!」理沙の声が聞こえた気がしたが、
「もう帰りますから、またね!」と店を出て行った。

もちろん坊主頭の男は、いつも2人で帰る弥生だが、
どうやら今日は1人だと気づきこんなチャンスはないと、
弥生の後を追っていった。
足早で歩いたが、男も必死だから走って弥生に追いついた。

「そんなに、急がなくたって・・・。」
後ろから声を掛けられて、うそ!付いてきた!
弥生は慌てたが男は、既に隣に居て
「久しぶりなんだから、少し話くらいいいだろ」と、
弥生の歩いてるのを止めた。

「帰らないと!」それが精一杯だった。

弥生万事窮す!

「またな、今度出掛けないかと、その約束で毎日のように来てたが、やよい、いないからよー!」
仮にも呼び捨てにするほど仲も言い訳でもなく弥生の前に立った男は、
ニヤニヤと見つめて返事を待ちながら、弥生の手を取ろうとした。

風と香りの中で 63

理沙は、遅くにしか帰ってこない母親の変わりに弟たちの夕ご飯を作っていた。

鉄次も楓も手伝い3人でたまにこうして母親の力になりながら
父親が居なくても過ごして行く事を、気にもしなくなったのだ。

楓は、父親が帰ってこないのを何度も理沙に尋ねてたが決まって
「遠くまだお仕事に行ってるから」と言い聞かせ、まだ、小学3年だが良く手伝いをしてた。

父親が出てった事情は理沙は、知っていた。
でも、時々、暴力を振るう父親をいなくなればいいとさえ思っていたので、
特に寂しいとか思うこともなく自分は、そうゆう人とは結婚なんかしないと、強く決めていた。
が、そうでない相手を見つけることも難しいことは知らなかった。

付き合ってる間はやさしくても、一緒になったとたん暴力を振るうようになる男性も少なくない、
見極めはやっぱり交際してる間しかないのが、やっぱり男と女の不可解な関係なのだろう。

もっともそれは、暴力だけではないだろう。
「お姉ちゃん、今度ね学校にね・・・。」言いかけた言葉を辞めた鉄次に理沙が、
どうしたのかと尋ねると、
「お母さん学校にこれる?」と遠慮気味に言った。

「お母さん忙しいから・・・。お姉ちゃんが行こうか?」
「えっ!ほんと!」鉄次は、母親に言えない子供心に理沙は、
直ぐに鉄次の気持ちが判った。

「やったー!」とその純粋な瞳で心から喜び、
夕食の準備に力が入ったのか、もって行くものを走りながら運んでいた。

「お兄ちゃん、危なーい!」と楓もゆっくりと落とさないように運んでる横をすり抜けたりして、
その喜び方はまさに子供そのままだった。

理沙は、この弟達の為にも卒業したら働くことに決めていたのだった。
「ごめんよ!」と言われた母親に「私は、もう勉強はしたくないし」それは、本音でもあった。

「お母さん、まだかな?」準備が出来た楓は、早々とテーブルに着いていたが、
鉄次は、テレビの前に座って「もう直ぐだよね」とテレビを見つめながら答えた。

暫くすると寒い外から帰ってきた母親が、帰ってくると皆が玄関まで行って迎えた。

「ただいま!」といつもうれしそうに、入ってくる母親を鉄次と楓は「おかえりー!」と大きな声で迎えた。

風と香りの中で 62

星一は、広げた便箋を見て綺麗な字だなーと感心しながら腰掛けたベットの上で読み始めた。

星一さんへ、突然の事で大変驚きました。悲しんでるんじゃあないかと思ってるでしょうが、大丈夫だですよ^^
ただ、何故だろうと思う。私は、極度の人見知りなんでね。

ほんとよ、先輩からいい人が居るからと会ってみないって言われた時も、実は断っていたの。

私には、無理だから・・・。
初めての人と会ってましてや、話なんて出来る訳ないもの、でも会って良かったです小早川さんの話が面白く、
なんか私の人見知りの事判ってるみたいに気を使ってくれてる気がして、いい人で良かったとほっとしたの。

でも、付き合うとかは決めてなかったんですが・・・。
星一は、読みながら加奈のその冷静さに驚いたのと少し安心しながら、
加奈も一つ年下だけど大人だしなと、胸の中で呟き続きを読み始めた。
 
紹介してくれた先輩が大丈夫だって、私の事気に入ってくれてると言われて、
馬鹿だよね自分の事自分で判ってなくて、何がいけなかったのかさえ判らないんだもの、
小早川さんと、会うたびに好きになって行く自分が怖く、仕事してても会いたくて会う日がいつも楽しみだった。

家に呼んでくれたときも家族の人に会えば安心かなとか、
凄く緊張してたんだけど皆優しく良い御家族さんで・・・・。

私は、私は、馬鹿だよね。
小早川さんの考えてることも判らず気付かず浮かれちゃってたのかもしれないね、
だから、やっぱり私には無理なのよ・・・。
ごめんなさいね!小早川さんには、迷惑けちゃったのかな。

星一は、この辺りから文字が滲んでるのに気づくと、
なぜか急に胸が締め付けられる思いを感じベットに倒れかけ呆然と天井を見つめて、
女性との交際が何か、凄く重いものだと感じたのだ。

人一人の心の繋がりは確かに遊びなんかじゃない、同姓同士なら何も悩むこともないのにと
男と女とでは、何故、恋とか愛とかになっててしまうのか、
それがなければ別れなんてないんじゃないかと、判らない!特別の相手を見つける。

特別ってなんなんだ・・・。星一は、起き上がると再び読み始めた。
心配しないでね。心配なんかしてないよね、そんなに想い出もないけど、
もう会えなくなると思うと何だか悲しいね、やっぱり、私には・・・。

PS  クリスマスに家に呼んでくれてありがとうね、
あのひと時の想い出がきっと私を強くしてくれると思うの、
いつまで小早川さんの笑顔を忘れないか判らないけど、
元気でね、体に気をつけて、いつかまた縁があれば会えるといいなぁ、
では長い事、書いちゃってごめんなさい。

さよならはいいません。もう、ほんとうに会えない気がするから、わたしは、元気よ・・・。
                 1月25日 かなより

これで終わりか!どこまで強がって・・・。
と、何だか無性にその空しさの、全身にのしかかる感覚は、冬のどんよりと曇った空が、
低く立ち込める1人きりの時の中に居るようだった。

加奈、ごめんな!便箋の終わりの方の水に濡れ乾いた雫跡が、加奈の思いだったのだろう。

星一は、そんなことを思うと静かに涙が一筋流れた。
が、加奈に、これ以上の悲しみが訪れることなどこの時の2人には、判るはずもなかった。

風と香りの中で 61

帰る道中に星一は、もう辞めてしまったんじゃないかと、
そのことが気がかりで一言も話すこともなく皆と別れ、
駐車場から家に行くまでの間にいつものように立ち止まると、
空を見上げいつもの様にオリオン座を探し見つめると、
何故かほっとしたのもつかの間で、家に入るなり「アンタ、加奈さんとどうなってるの?」と母親が呼び止めた。

「どおって?」星一は、何のことやらととぼけながらリビング入ると、
テーブルに置いてある暖かそうな毛糸のストールと、一枚の便箋と、封筒がおいてあった。

「これ、アンタに」と封筒を渡され「別れたんでしょ、加奈さんと・・・。」
手にした一枚の便箋には、クリスマスの時のお礼の手紙で加奈が、編んだストールが置いてあったのだ、
もう、家に来ることもないし、ありがとうございましたって書いてあるんだよ。

「しっかりした娘さんなのに、アンタは・・・中々いないよこーゆう娘さんは、
そりゃーまだ、早いと思ってるかもしれないけど、良い女性がいたら早くもないんだよ。
かーさんは、アンタを22歳の時に生んだんだから・・・。」と、
本当に残念そうに言われたが「関係ないよ、お袋には、自分の事だよ、ちゃんと判ってるって、大丈夫だって」
そう言って部屋に向かうと「大丈夫って、父さんも気に入ってたのに、ほんとにねー判ってんのかな」
と母親は、1人呟いていたのを瑠璃子が「お兄ちゃん別れたの?」と尋ねていた。

「関係ないのに、何なんだ・・・自分の気持ちのことも考えて欲しいよ」と部屋に入って、手にした封筒を開けた。

微かに香る甘い匂いと手にした便箋から伝わってくる想いが、なんとなく重く感じられ星一は、ベットに腰掛けた。

コメントで物語が変わる、あなたが作る恋愛小説